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亘理町 “完全注文住宅” のA様

 
 
「東北も震災を経験するなど、こんな時代だからこそ地域の方も集える“居場所”をつくりたかったんです」。とご主人
 
 
 
 
 

設計者と お客様への インタビュー

 
Q1.  家づくりのきっかけは何でしたか?
 

 
A.築50年以上の家の寒さや間取りの問題
 
 母と障害のある妹、そして妻と子どもの暮らしやすい二世帯の住宅を建てることが一番のテーマでした。以前の家は築50年近く、間取りや寒さも含め、このままでは良い生活ができないなと、建て替えを検討しました。
 
 
 

 
Q2その後はどんな行動でしたか?
 
 

A. 『様々なタイプの建築会社を見て廻って…』
 
 展示場を含め、ハウスメーカーやデザイン系の建築会社などを見て回りました。資料も含めて色々比較したんです。そして、雑誌で気になった石黒さんに資料請求をし、石黒代表と直接お会いしました。代表の二世帯の自宅兼モデルハウスも見学。相見積をしない姿勢なども聞いてこれは信頼できるなと感じ、〝ここならやってくれる〞と。そして、その年の年末に、お手紙を頂いた広報の佐直さんにメールしたんですね、「決めました」と。
 
 
 

 
Q3他社様との違いはどんな所でしたか?
 
 

A. 『ヒアリング力が格段に違いました』
 
 家づくりの大きなポイントに、妹との生活と、地域の方が定期的に集まる広い空間づくりがありました。妹との生活を例に取れば、車椅子でトイレに行けるような普通のバリアフリーの設計は他でもできるんですが、石黒さんは、母と妹がどんな時間帯で接し、妹が普段椅子に座っているのか、床に座っているのかなど、生活ぶりを聞く想像力(ヒアリング力)が格段に違いました。
 
 
 
 
 
Q4. 単身赴任中で週末の度打合せでしたね?
 
 

A. 『もはや、自分たちとの“たたかい”でした』
 
 月に1、2度、土曜日の午後、5時間くらいは打ち合わせをしました。毎回宿題が出て、それに応えるというやり取りですね。本当に濃い内容で、もはや自分たちとの戦いでしたね(笑)。悔いは残すまいと。
 
 
 
 
 
Q5. 家づくりが自分達と向き合う
    良い機会だったと伺いましたが?
 
 

A. 『一生に一度でしたから、とことんやりました』
 
 石黒さんに、「お米の収納は何袋分必要ですか?」「キッチンの後ろにあるべきものが、どれだけありますか?」などと本当に具体的な質問をされる。そうすると、「あ、お米も野菜も頂くし、そう言えばこれも、あれもある」と。自分たちでもどれだけ収納が必要か分からなかったので、食器や本の数、サイズも全部調べてエクセルに打ち込んだのも、良い思い出です(笑)。一生に一度の家づくりですから、とことんやりました。




 
Q6. 印象に残るエピソードを教えて下さい
 
 

A. 「住んだ後に後悔することもあるので 
検証しましょう!」と言われて…。
 
 例えば、タオルを引き出しに収納する際、複数を丸めて並べて仕舞っても、実際に使うのは手前にあるものだけになったりする。そんな話もされて、何だかすごく腑に落ちたんです。そこまで考えてくれる人なんだと。あと、CGを使って、客間に座ってキッチン側を見た時に、カウンターの見え方はどれが理想かも検証してもらいました。来客が来て、キッチンに立っている姿だとか、それを見えるつくりにするとかしないとか、少し出すとか出さないとか、ものすごくマニアックにやりましたね(笑)。
 
 
 
 

 
Q7.  真面目に考えてつくった住まいの
         満足度はいかがですか?
 
A. 『満足度は相当高いです。“ピッタリ”の  
住まいになりました。』
 
 満足度は相当高いですね。石黒さんとの家づくりでなければ、もしかしたら住んでから「ああしておけば良かった、こうしておけば良かった」という家族の声が出て来たのかも知れません。それが本当にないんです。また、石黒さんは何を言っても軽々しく扱うような事はありませんでした。これはとても重要な事だと思うんですよ。まずは全てを肯定してくれる、それがスタートでした。気を遣って最後まで言えない、ということがなかったからこそ、自分たちにピッタリの住まいになったのだと思います。ありがとうございました。




 
!! インタビューのこぼればなし
 
 

 
 『お引渡しの日に、御嬢様よりサプライズ』
 
 
 お引き渡し日当日(弊社にとって家づくりの集大成の日)施主様宅には、共に家づくりを”走り切った”ご家族と石黒建築工房のスタッフの満面の笑顔がありました。代表の石黒に『ありがとう!』のサプライズのメッセージカード(家とスタッフの似顔絵入り)を、施主様の御嬢様より頂戴しました。素敵なプレゼント、本当にありがとうございました。